
怒涛の海外引越し!!
On 22/04/2020 by Nao1510
2017年10月、スキルアップと海外転職を夢め見てオーストラリア留学し、
2018年10月、就労ビザが厳しく結局日本に帰ってきて1年ちょっと会社員した後、
2020年3月、コロナウイルス真っ只中、再度Brisbaneに引越してきました。
この引越しは死ぬほど大変だったのですが、今は無事、Brisbaneに戻ってこれたので「どんな困難もなんとかなる」ということを書きたいなと思い、長らく放っていたBlogを再開することにしました。
オリジナルプラン
当初の予定としては、有休を使用して4月末に退社を予定していました。最終出社が3/17となるので、その後役所の手続きを住まいのある関西、実家のある関東の双方で済ませて3/25ごろの出国を予定していました。
一人暮らしだったので、家具家電を全て売却もしくは処分する必要があり、部屋の引き渡しも3/20に予定していました。
そんなこんなで3月のはじめはまだ呑気にしており、全ての家具を使用していた上に3/12まで出張の予定さえも入れていました。
問題発覚 – ビザの問題
私は4月末に期限の切れるワーホリビザを保有しており、ワーホリビザで入国してオーストラリア国内から次のビザ申請をする予定でした。
3月4日
ふとワーホリビザの内容を確認していたら、今まで気にも留めていなかった一文を見つけた。
「Must not arrive after 14 March 2020」
・・・。
つまり、私は3/25に飛行機に乗っても入国することができない。
頭蒼白。
仕事中にもかかわらず、全く仕事にならなくて、とてつもなくミスしまくった。
でもふと、「あ、観光ビザ取ればいいじゃん」と思って、一番安くETASを取得できるビザ代行会社に連絡した。
しかし「ワーホリビザがある間は申請できないので、ビザが切れるの待ってください」と言われた。
その後、ワーホリビザはキャンセルできるという情報を見つけ、ワーホリビザをキャンセルして観光ビザを取り直そう!と決めた。
しかし、次の一文をofficial websiteから見つける。
「If you hold one of the visas listed below, or any other temporary visa with less than 6 months validity, we will not process requests for voluntary cancellation:」
つまりワーホリビザをキャンセルできない。
この日はもうワーホリビザが切れてから観光ビザで行こうと諦めていた。
次の日、親友が「10日以内に出国するのがベストと思う」、とふと言った一言で何かが目覚め、
3/5に3/12の飛行機で出国できるよう調整を始めた。
第1課題 – 家の契約
最大の課題は家の契約。家は、3/20の契約解除を予定していた。ほとんどの大型家具家電も同日朝に知り合いが引き取りに来ることになっていた。
⇨関東にいる母親に連絡。母が荷物の引き渡しと家の解約を代理で行ってくれることとなった。私が今オーストラリアにいるのは母親のおかげだ。いざという時に頼れるのはやっぱりお母さんだと思った。
第2課題 – 歯医者
嘘みたいにアンラッキーなのだけど、3/3、お昼ご飯食べていたら急に歯の詰め物、取れた。
急いでかかりつけの歯医者に連絡し、当日セラミック治療を契約。ただこの歯医者は精密にセラミックを作り(めっちゃ高い)、新しい詰め物ができるまでに2週間かかる。そのため18日に治療を完了させる予約をしていた。また一度セラミック作製の契約をした時点でキャンセルはできないので、なんとしてでも歯の治療を完了させる必要があった。
⇨急遽、歯医者に電話。
「出国できるかどうかは歯の治療にかかっている!!」と切実に訴えたら、なんと1週間早めてくれて3/11に行ってくれることになった。予約とるのが困難なほど人気な歯医者なのだが、この対応は奇跡。
第3課題 – 会社の退職
当初4月末の退職を予定していたので、10日早く出国するとなるとどうにも有休日数が足りない。
⇨というわけで、予定していた出張も上司にまかせ、その他諸々同僚にまかせ、退職日を早めることとした。無責任で怒られるかなと思ったけど、正直私にかかっている会社の将来なんてちっぽけすぎて、何言われても自分の人生優先しようと思っていた。
でも上司は優しく認めてくれた。死ぬほど迷惑をかけて申し訳ない気持ちでいっぱいだったが、最終日には上司はケーキを買ってきて会議室で一緒に食べてくれたり、同僚もプレゼントくれたり。1年ちょっとしかいなかったのにその優しさに感謝。
第4課題 – 兵庫区役所の臨時閉鎖
当初は実家のある関東に住民票を移す予定だった。、しかし、もちろん実家に帰る暇なんてない。一人暮らしの住所に住民票残しておくこともできないので、祖母宅のある兵庫区に移そうとしていた。
が、まさかの職員のコロナウイルス感染による臨時閉館。
死ぬほど焦ったし、なぜこんな困難ばかり起きるのかと泣いた。
⇨しかし兵庫区役所はすぐに復活。助かった。
第5課題 – 無犯罪証明書
ビザ申請に必要な無犯罪証明書が3/12に出来上がる予定だった。
しかし飛行機は3/12。兵庫県警まで取りに行く時間があるかは怪しい。
⇨11日、兵庫区役所に行ったついでに県警に電話し、出来上がっているか確認、出来上がっているとのことで急遽取りに行くことにした。閉庁間際だったこともあり、県警に猛ダッシュで入って行こうとしたので、入り口の警察に留められたりしながらも、なんとか入手。
第6課題 – コロナウイルス
コロナウイルスにはかなり精神をやられた。世界中の感染者が増えるの中、オーストラリアは感染がひどい国からの入国禁止を始め出した。
いつ日本が入国禁止対象になるか、ならなかったとしても飛行機がキャンセルになって飛ばなくなる可能性がある。飛行機がキャンセルされたら、別の飛行機を探せるが、なんせ入国期限があるのでなんとしてでも14日までに入国しなければいけない。
今日大丈夫でも明日はわからないという状況で過ごしていた。
アドレナリンが止まらず、動機が激しい状態が4日〜オーストラリア着陸まで続き、もう心臓おかしくなって死ぬんじゃないかと思った。自力で眠ることが不可能だったのだけど、自分がコロナウイルスにかかって搭乗拒否となるわけには行かないので、睡眠導入剤をのんで無理矢理眠り、多少高くとも栄養のある食べ物を買うようにし、緊張の日々を過ごした。
そして3/13、無事オーストラリア入国
実際にはこのほかにも引き取って貰えなかった家具家電の処分や、種々手続き、ビザとコロナの状況調査、ギリギリ入国への不安、引越しの準備などとにかく小さな課題が山のようにあった。
とにかく毎日泣きながら準備した。
なんでこんなにも大変なのかと、オーストラリアに引っ越すと決めたことが間違いなのではないかとも思った。神様が全力で日本に残るように引き止めているんじゃないかと、本気で思った。
しかし結局は渡航することができ、今は平和にオーストラリアで過ごすことができている。
あと2日遅く到着していたら、自主隔離対象になって家から出られないところだった。
当初の予定の25日には入国規制がさらに厳しくなっていた。
もしも14日以降に入国できないと気づいていなかったら、、
母が助けてくれなかったら、、
歯医者が神対応してくれなかったら、、
と一つ違えば渡航できなかった要素がたくさんある中で渡航できた。
「海外への引越しを13日早める」
3/4には絶対に無理だと思ったこの引越しを3/13には完了していた。
まだまだ残してきた手続きで家族には迷惑かけてしまっているけど、
一人ではできなかったことだけど、
「人生なんとかなるものだな」と思いました。
何かに挑戦する中で「無理かも」と不安になっている人の役に立てればいいなと思います。
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